水中写真撮影 空 良太郎 - 沖縄の現地ダイビングガイド

水中写真撮影 - 沖縄の現地ダイビングガイド

旧日本軍の特攻機「九八式直接協同偵察機」

九八式直接協同偵察機(きゅうはちしきちょくせつきょうどうていさつき)は、大日本帝国陸軍の偵察機。キ番号(試作名称)はキ36。略称・呼称は九八式直協偵察機、九八式直協、九八直協、直協機など。連合軍のコードネームはIda(アイーダ)。開発は立川飛行機、製造は立川と川崎航空機。

単葉機の割には短距離での離着陸が可能で、操縦性・低速安定性もよく、エンジン故障が少なく整備も容易だったため、使いやすい万能機として前線の部隊からは好評で、偵察、指揮、連絡、対地攻撃などの任務、さらには爆装した特攻機として終戦まで活躍した。

エモンズはレーダーピケット任務に従事し、ロッドマン (USS Rodman, DMS-21) と共に航行中、大規模に展開された特攻機の攻撃に際して標的とされた。最初の1機がロッドマンを攻撃し、エモンズは損傷したロッドマンを護衛するため対空砲撃を行った。2隻の掃海艦は特攻機の攻撃に圧倒された。その多くは撃墜されたものの、エモンズは5機によってほぼ同時に攻撃を受けた。1機が三番砲塔の喫水線付近に突入し、弾薬庫に引火、大爆発を起こし、左舷船尾と戦闘情報センターが炎上した。

写真はエモンズの船首、特攻機が特攻したことにより大きく船体が破損している。

※エモンズ(USS Emmons)や旧日本軍の特攻機「九八式直接協同偵察機」については、エモンズ(USS Emmons)ダイビング・沖縄最大の沈没船もご覧下さい。

テクニカルダイビングチーム「No Limit」の調査

撮影者のテクニカルダイビングの師、近藤正義氏(No Limit代表)により、エモンズに突入したと思われる日本軍の特攻機の機種と部隊名が解明され、国内の新聞でも大きく取り上げられた。近藤正義氏は撮影者と北マリアナ諸島サイパン島で出会い、現在も同じく沖縄に移住している。サイパン島でも沈没船の機種の解明をしている世界的なリブリーザーの第一人者。IART(国際リブリーザートレーナー協会)のJAPAN代表、IANTD(テクニカルダイビング協会)のアメリカ本部所属。

「眠る特攻機 水深45メートルに65年」 抜粋:朝日新聞

第二次世界大戦末期、沖縄近海で旧日本軍の特攻作戦により沈没した米海軍掃海艇エモンズの近くで見つかった飛行機の一部が、旧陸軍の特攻機である可能性が非常に高いことが分かった。

沖縄在住の「テクニカルダイビングチーム No Limit」のメンバーが調査し、中国北京の博物館に展示されている「九八式直接協同偵察機」の機体と比較した結果、①計器盤の形状と大きさ②固定脚の形状と大きさ③固定脚のカバーの形状④プロペラの枚数などが一致した。

エモンズは1945年4月6日、特攻機5機に突入され爆発炎上。今帰仁(なきじん)村の古宇利(こうり)島沖で米軍によって海底に沈められた。今回確認された九八式はエモンズと共に水深45メートルの海底に散らばっていた。同日の旧陸軍の特攻作戦「第一次航空総攻撃」では、新田原陸軍飛行場(宮崎県)から26機の九八式が出撃されたとされている。

旧日本軍沖縄方面の出撃記録

旧日本軍の沖縄方面への出撃記録から1945年4月6日に陸軍新田原飛行場を出撃した特別攻撃隊の記録を確認できる。エモンズの船尾付近に爆弾を抱えたまま特攻突入したのは98式複座直協機(空冷星形9気筒エンジン2枚羽根プロペラ)の36、37、38飛行隊の合計26機に絞られる。又、26機の内、3機はエンジン不調のため出撃を中止している。

1945年4月6日の出撃(菊水壱号作戦、陸軍特別攻撃隊)
陸軍特攻誠第36飛行隊:九八式直協(2枚羽根プロペラ)10機:新田原発:中尉 住田乾太郎指揮官
陸軍特攻誠第37飛行隊:九八式直協9機:新田原発:中尉 柏木誠一指揮官
陸軍特攻誠第38飛行隊:九八式直協7機:新田原発:少尉 喜浦義雄指揮官
陸軍特攻第22振武隊:一式戦2機(3枚羽根プロペラ):知覧発:少尉 西長武指揮官
陸軍特攻第44振武隊:一式戦4機:知覧発:少尉 小原幸雄指揮官
陸軍特攻第62振武隊:九九襲5機(3枚羽根プロペラ):万世発:少尉 富沢健児指揮官
陸軍特攻第73振武隊:九九襲12機:万世発:少尉 高田鉦三指揮官
陸軍特攻第一特別振武隊:四式戦8機(3~4枚羽根プロペラ):都城西発:少尉 林弘指揮官

参照資料: 朝日新聞(平成22年8月15日発行)
参考サイト:Wikipedia
 
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